大雲院は天正十五年(1587年)に、正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子を供養するために創建されました。

明治二十七年(1894年)に京都府庁によって作成された『大雲院志稿』には、大雲院創建の経緯が、次のように要約されています。
「天正年間、織田信長は、御池御所(二条新御所)を修理して誠仁親王に献上した。その後、明智光秀の反乱によって、信長は本能寺で、信忠は御池御所(二条新御所)で戦死した。この反乱が鎮定されたとき、正親町天皇は、織田父子が非業の最期をとげたことを深く憐み、その冥幅を祈らせるために智徳兼備の導師をさがし求めたところ、洛中の浄教寺に住む貞安が、信長の尊崇を受けていたことを知り、貞安を宮中に招いて御池御所(二条新御所)を下賜し、これを寺にして織田父子の追善供養を行うことを命じた。」

寺院の名は、明智筆秀の反乱よって非業の最期をとげた織田信忠の法号「大雲院殿三品羽林仙厳大居士」にちなんで「大雲院」と名づけられました。山号の「龍池山」は御池御所の中にある湧水豊かな「龍躍池」に因んで命名されました。

このように、織田信長と正親町天皇、そして貞安上人の密接な関係から、大雲院が誕生しました。

織田信長公

織田信長公

織田信忠像

織田信忠像

織田信長・信忠碑

織田信長・信忠碑